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「アイヌ神謡集」知里幸恵

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Ainu, First People of Japan, The Original & First Japanese

Ainu, First People of Japan, The Original & First Japanese

Riwkakant リウカカント - gift

床絵美 Toko Emi : vocal / 海沼武史 Takeshi Kainuma : music – リウカカント Riwkakant

阿寒生まれの床 絵美(トコ・エミ)の新たなアイヌ音楽

2008年(平成20年)6月6日「アイヌ民族を先住民とすることを求める決議」

参議院本会議

昨年九月、国連において「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が、我が国も賛成する中で採択された。これはアイヌ民族の長年の悲願を映したものであり、同時に、その趣旨を体して具体的な行動をとることが、国連人権条約監視機関から我が国に求められている。

我が国が近代化する過程において、多数のアイヌの人々が、法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、私たちは厳粛に受け止めなければならない。

すべての先住民族が、名誉と尊厳を保持し、その文化と誇りを次世代に継承していくことは、国際社会の潮流であり、また、こうした国際的な価値観を共有することは、我が国が二十一世紀の国際社会をリードしていくためにも不可欠である。

特に、本年七月に、環境サミットとも言われるG8サミットが、自然との共生を根幹とするアイヌ民族先住の地、北海道で開催されることは、誠に意義深い。

政府は、これを機に次の施策を早急に講ずるべきである。

一 政府は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を踏まえ、アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認めること。

二 政府は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されたことを機に、同宣言における関連条項を参照しつつ、高いレベルで有識者の意見を聴きながら、これまでのアイヌ政策を更に推進し、総合的な施策の確立に取り組むこと。

右決議する。

(西岡武夫君外六名発議)

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「アイヌ神謡集」

アイヌ民族は日本の先住民族であることを認める決議が、2008年6月6日の衆参両院で「アイヌ民族を先住民とすることを求める決議」として全会一致で採択され、特に明治政府に行われた差別の歴史に終止符が打たれ、アイヌ民族の歴史が正統に評価され、日本人がアイヌの人々に強いた差別の歴史が修正される時代がやってきました。

明治政府は北海道・千島列島を「皇国の北門」と位置づけ、主にロシアからの侵略に備え、開拓を推し進めました。その国土防衛と開拓の名の下に制定した「北海道旧土人保護法」によりアイヌの人々は、土人と蔑まれながら、住む土地を追われコタンの地に封じ込まれました。生活の糧を得る土地を奪われ、「姓氏相用」としてアイヌ名さえも奪われ、日本の苗字を使うように強要され、日本語を常用しアイヌ語を話すことさえ禁じられました。これは日本の近代化を推し進めた明治政府のアイヌ民族植民化の恥ずべき歴史です。

アイヌ民族は文字を持たなかったため、その歴史と風習は伝承として謡われていました。その時代にあってアイヌ民族の伝承の保存に乗り出したのが、後に東京帝国大学教授となった言語学者、民俗学者の金田一京助です。大正7年に金田一京助はアイヌの伝承「カムイユカラ」(カムイ:神の意、ユカラ:叙事詩)を北海道登別市の知里幸恵(ちり ゆきえ:1903年(明治36年)6月8日-1922年(大正11年)9月18日)に「アイヌ神謡集」として纏め上げることを薦めます。その知里幸恵の力によりアイヌ民族の伝承は始めて文字となり13篇のカムイユカラとして残されました。知里幸恵の弟、知里真志保(1909-1961)は金田一京助の指導の下にアイヌの言語学者、文学博士となり「分類アイヌ語辞典」を始めとする研究の成果により、アイヌ研究の基礎を築きました。こうした人たちの努力とその支援者とともに、アイヌ民族復権を求める動きは長く続きましたが、日本政府はアイヌ民族を先住民族とすることを拒み続けました。ネイティブ・アメリカンの歴史と同じように、人は過去の過ちをなかなか認めたがらないものです。「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の後押しがなければ2008年の決議も先送りされていたのかもしれません。それでもこの決議は真実の歴史から目を逸らさないという大きな教えとなりました。

知里幸恵が編訳し残した「アイヌ神謡集」は青空文庫で読むことができます。その自然への畏怖と共存、自然の恵みの中で生きる精神的な豊かさは日本人が忘れたもの、アイヌの人々から奪おうとしたものでした。

「アイヌ神謡集」序より その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
(中略)
けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.
アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は,雨の宵,雪の夜,暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました.
私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます.

アイヌ:Wikipedia
ユーカラ:Wikipedia
コタン:Wikipedia
金田一京助:Wikipedia
知里幸恵:Wikipedia
知里 幸恵:青空文庫

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