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早春賦【歌詞の意味】

定番の名曲
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早春賦/作詞:吉丸一昌/作曲:中田章/歌:野々村彩乃

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早春賦/作詞:吉丸一昌/作曲:中田章/歌:野々村彩乃
(春先に向けて作った朗誦のための韻文による歌曲という意味です。)

「早春賦」は作曲家、オルガニスト、東京音楽学校甲種師範で、のちに助教授となった中田章(1886-1931)と国文学者、東京府立三中(現・両国高校)教授から東京音楽学校助教授となった吉丸一昌(1873-1916)の歌です。歌詞の意味は下の意訳も参考にしてください。

卒業に限らず、人生の新たなステップに立つ、その想い、日本人の心象の移ろいを良く表している唱歌です。
これは単に、春の季節のお訪れと、その兆しや風景描写を歌ったものではありません。むしろ春の訪れの歌に、自分自身の心境を投影したものです。
長い冬の終わりを感じ取り、谷の鶯たちも囀りたいという気持ちを抑えています。これは、新たな人生のステップの始まり、スタートラインの立っている、勇躍のときを待ちわびる気持ちです。かといって、春だといっても、まだ一進一退。日ごとに移り変わりゆく季節に戸惑いながらも、はやる気持ちを抑えてながら、思い廻らす将来への想いを歌っています。
また、この歌には、地方ごとに異なる春の訪れの時期をも暗示しています。「遠い都会ではもう春だと聞くが、春が遅いここでは、どうしようもない。」と煩悶する日々だということです。
やはり、新たな一歩を踏み出す人にとっての、春先の将来への希望と戸惑いや不安などを短い歌詞の中に凝縮しています。何もかも理路整然と説明するグローバル化社会にあって、言葉の行間とある感じ取るという、古き良き、日本ならではの言語文化を大切にしてきた先人たちの理想と功績もしのばれます。明治、大正、昭和初期にかけての、文学、音楽などの国民啓蒙活動による遺産は、今でも日本人の心に受け継がれています。

【蛇足】たぶん、この歌詞が日本人にとって馴染み深いのは、このような和歌の影響もあるかもしれません。

百人一首「 崇徳院」(77番)『詞花集』 落語崇徳院で有名ですね。
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」

浅野内匠頭の辞世の句
「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」
元禄十四年(1701)旧暦三月十四日(新暦4月21日)

Soshunfu - 早春賦 - Kaori Muraji 村治佳織

村治佳織 – 早春賦

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早春賦(作曲・中田章、作詞・吉丸一昌)

春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる(せかるる)胸の思(おもい)を
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か

早春賦(現代語意訳)

暦の上では春になったと言うものの名のみで、風は寒い
谷の鶯も囀りたいと思っているのだろうが
まだその時でないと声も立てない
まだその時でないと声も立てない

張っていた氷も解けて、葦も芽吹くようで
さあその時(春)かと思うがあいにく
今日も昨日も雪模様の空
今日も昨日も雪模様の空

春だと聞いていなければ、知らないでいるものの
聞けば気が急く思い廻らす胸の内を
どうしろと言うのかと思うこの頃である
どうしろと言うのかと思うこの頃である

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