ブルームーン:Blue Moon [歌詞と和訳]

Bunny Berigan – Blue Moon (1934)
スイング時代のトランペッター・歌手のバニー・ベリガン(1908-1942)です。この歌が書かれた1934年のものです。
The Marcels – Blue Moon
1961年のザ・マーセルズのバージョン。アップテンポなドゥー・ワップでミリオンセラーの大ヒットになりました。
Julie London – Blue Moon
ジュリー・ロンドンの優しい歌声って癒されますね。落ち込み度合いが高い人にはこの歌唱が一番かもしれません。
ブルームーン(Blue Moon:歌詞)
Blue Moon
You saw me standing alone
Without a dream in my heart
Without a love of my own
Blue Moon
You knew just what I was there for
You heard me saying a prayer for
Someone I really could care for
And then there suddenly appeared before me
The only one my arms will (ever) hold
I heard somebody whisper please adore me
And when I looked to the Moon it turned to gold
Blue Moon
Now I’m no longer alone
Without a dream in my heart
Without a love of my own
And then there suddenly appeared before me
The only one my arms will ever hold
I heard somebody whisper please adore me
And when I looked the Moon had turned to gold
Blue moon
Now I’m no longer alone
Without a dream in my heart
Without a love of my own
Blue moon
Now I’m no longer alone
Without a dream in my heart
Without a love of my own
ブルームーン(Blue Moon:和訳)
ブルームーン
あなたは一人ぼっちで立っている私を見ていた
心に描く夢もなくて
愛する人もいない
ブルームーン
あなたは何のために私がそこにいるのかちゃんと分っていたのですね
あなたは私のお祈りが何を言ってたのか聞いていたのですね
私が誰かを本当に大切にしたいということ
それから突然私の前に現れた
私がいつまでも抱きしめておきたいたった一人のひとが
私は誰かがささやくのを聞いた「どうか私を大事にして。」と
そしたら、お月さまが金色に変わっていた
ブルームーン
今はもう一人じゃないんだ
心に描く夢もなくて
愛する人もいないような
(リピートの部分は省略しています。)
で、ちょっといつもの解説です。
ブルームーン(Blue Moon)は1934年のリチャードロジャース(Richard Rodgers)とロレンツハート(Lorenz Hart)の曲です。ティーンエイジャーの頃はザ・マーセルズのドゥー・ワップが好きだったのですが、だんだんオールドスタイルの歌唱が好きになりました。勢いに任せて喜び歌い上げるものよりも、歌詞の内容を味わいたくなった、ちょうど味覚の変化と同じことが聴覚にもあるのでしょう。
この歌はにシンプルな魅力があります。夢ない孤独の中で見つけた愛、それをそっと見つめるお月さま、とてもメルヘンチックです。でも変わったのはお月さま?ではなく自分の心だということが分かります。この心の持ちようようで人生が変わるんだよと、お月さまは語り掛けているのです。この歌が出来たのは大恐慌時代です。もう分かりますね、これはラブソングであり、また時代が生んだ癒しソングでもあり、また人生の応援歌でもあるのです。これがブルームーンが長く愛されてきた理由だと思います。
閑話休題、ブルームーンの意味は、英語版のWikipediaにいろいろ書かれているので参照してみて下さい。ただ古今東西を問わず月は人間の信仰の対象であり、インスピレーションの元になっています。生理学的には月の引力の影響とも言われていますが、エモーショナルな面では、月下の一群の詩人たちのように月の光の仄かなロマンチックさに人は魅せられるのだと思います。「せいぜい おれたちに詩が書ける光の誤差は一・三秒の光りということか」と書いたのは詩人の田村隆一さんでした。太陽の光がロマンチックでないのは八分十八秒六の誤差にインスピレーションが働かないのか、強い光に心よりも先に肉体が反応してしまうからでしょうか?昔の日本人は花鳥風月、身近にある自然を楽しむ心があったのに、今は月を眺めるゆとりも無くしてしまったようです。珠にはブルームーンを聴きながら、初恋を偲んで月見と洒落込みましょうか。
憂き人の月は何ぞのゆかりぞと思ひながらもうち眺めつつ 西行法師(新古今和歌集1266)
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