古賀春江「海」

絵画・アート


ハリウッド女優グロリア・スワンソンの水着写真。古賀春江が見たのは、これの着色写真による絵葉書です。

古賀春江(明治28年・1895年-昭和7年1932年)は、大正から昭和のはじめにかけての画家です。画家としては、当時のヨーロッパ絵画の潮流を、次々と取り入れて製作しました。未来派や立体派に強い影響を受けた後に、パウル・クレーからも影響を受けるといったように、彼の短い画家人生は、摸索に明け暮れたものでした。実は、私は古賀春江の良さは詩情ある絵にこそあると思っていますが、彼は新しい絵画を追い求めました。

「海」はそんな彼が、1929年、『科学画報』の帆船とツェッペリン号、ドイツの潜水艦の図解、『原色写真新刊西洋美人スタイル第九集』の絵葉書の中のグロリア・スワンソンの水着写真などをコラージュした作品です。日本で始めてのシュルレアリスム絵画と評価されており、多くの美術評論家もシュルレアリスム絵画と評しています。
しかし、この絵には「潜在意識やイメージの非合理的意義を強調するオートマティズム、または利用可能性の影響、予想外の取り合わせ等による」現実えたものを認識・覚醒させるというシュルレアリスムの要素がありません。シュルレアリスムが日本に紹介された際に、その絵画作品や詩に見られる、イメージの奇妙な配列の印象が強かったために、「奇妙=超現実:シュルレアリスム」と安直に受け止めたことに由来します。多くの美術評論家もこれに倣っています。今でも変なものを見て「シュール」と言う人がいるのはこのためです。本当のシュルレアリスムは、単に「変」「奇妙」なものではなくて、その作品から、既成の教育された認識や概念を超えたもの、開放するものを呼び覚まされることにあります。「変」「奇妙」なイメージ感覚は、そのきっかけとなるものです。

そこで、古賀春江の「海」を見ると、「変」「奇妙」なものはありません。極めて現代的(当時の)、健全なイメージを配置しており、未来派絵画の影響が強いものです。また、私たちの既成の概念を破壊するものでもありません。そこにあるのは、科学文明への憧れとモダニズムの詩情です。不幸にして38年の短い生涯で辿り着いたのは、彼が追い求めたモダニズムの象徴である「機械文明の科学」を絵画に定着させることことでした。この絵に付された彼の、安西冬衛の詩のような自作解題は、西洋と科学文明への強い憧れを詩情ある言葉で綴っています。
ただ、私たちがこの絵を見て感じるのは、詩情とともに、何故か懐かしいような一種のノスタルジアです。科学は進歩するもの。最先端の科学技術でも、明日には古くなる宿命を持っています。人の憧れが強いほど、科学は郷愁の対象になります。蒸気機関車からアポロ、ファミコン、自動車、ロボット…全てがそうであるように、古賀春江の時代の飛行船も潜水艦も同様です。古賀春江は図らずも、シュルレアリスムでも未来派でもない郷愁の絵画を世に残したのだと、私は思います。

自作解題

透明なるするどい水色。藍。紫
見透かされる現実。陸地は海の中にある
辷(すべ)る物体。海水。潜水艦。帆前船
北緯五十度
海水衣の女。物の凡てを海の魚族に縛(つな)ぐもの
萌える新しい匂ひの海藻
独逸最新式潜水艦の鋼鉄製室の中で
艦長は鳩のやうな鳥を愛したかも知れない
聴音器に突きあたる直線的な音
モーターは廻る。廻る
起重機の風の中の顔
魚等は彼等の進路を図る-彼等は空虚の距離を充填するだろう-
双眼鏡を取り給へ。地球はぐるつと廻つて全景を見透かされる

古賀春江Wikipedia