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YMO:Yellow Magic Orchestra

ロック
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YMO 【Yellow Magic Orchestra】


LIVE GREEK THEATRE 1979 YELLOW MAGIC ORCHESTRA ATLANTIC TOUR

Yellow Magic Orchestra - World Tour 1980

Live At Nippon Budokan Tokyo 1980

イエロー・マジック・オーケストラ オリジナル・メンバー
坂本龍一 – キーボード
高橋ユキヒロ – ドラムス、ヴォーカル
細野晴臣 – ベース

YELLOW MAGIC ORCHESTRA ATLANTIC TOUR LIVE AT GREEK THEATER 1997年3月26日

サポート・メンバー
松武秀樹 – コンピューター・プログラミング
矢野顕子 – キーボード、バック・ヴォーカル
渡辺香津美 – ギター

WORLD TOUR ’80 FROM TOKIO TO TOKYO 1980

サポート・メンバー
松武秀樹 – コンピューター・プログラミング
矢野顕子 – キーボード、バック・ヴォーカル
大村憲次 – ギター

イエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)がデビューした1978年(昭和53年)はインベーダーゲーム、デジタルウォッチが登場した年で、電子部品の生産の安定、高性能化、価格の低下が要因となって、家庭電化製品を含め多くの製品がデジタル化した時代です。デジタル機器はアメリカのアポロ計画を支えるIBMのコンピュータ・システムの研究開発により大きく発達したもので、1969年のアポロ11号の月への着陸を主にコントロールしたのは5台のシステム/360です。システム/360は初めてOSを搭載した革新的なコンピュータで、これによりソフトウェアにより科学計算から事務処理まで対応でき、周辺機器やソフトウェアを共通に使えるようになりました。その開発技術の一端として、ICからLSI、超LSIへと論理素子が発展し、その産業利用としてインベーダーゲームやデジタルウォッチが作られ、音楽方面ではシンセサイザーが作られました。またアップルがAppleⅡを作ったのは1977年でした。ですからシンセサイザーはパーソナル・コンピュータを同時に生まれた楽器と言えます。
1970年代後半から1980年代の電子音楽の下地となったのは、社会的なデジタル化とそれに対する大衆の未来志向、そして実際の音楽製作を可能にしたのが低価格、高性能なシンセサイザーの登場でした。この頃の電子音楽の先駆けとなったのはクラフトワークで、純粋な機械的な音楽を追求しました。また、当時流行したディスコ・ミュージックやニュー・ウェイブは楽曲のアレンジとして電子音楽を使用しました。

YMOの音楽が登場したのは、このニュー・ウェイブの流れにありますが、志向したのは機械的な電子音楽ではなく、スタンダードとなる音楽です。それに日本的、東洋的な情緒を含ませることでできたのがYMO独自の音楽です。当時の日本のロックの傾向、変遷は長くなるので書きませんが、世界的にはローカルである日本のロックを世界の標準と同等、あるいはそれ以上であることを示すために、ヨーロッパやアメリカの音楽と一線を画すことが有効な方法だったのです。
日本人は先進機器、技術への志向が強いのですが、機械であっても情緒的なものを求める傾向にあります。これは国民性なのですが、機械に人間的な機能を求めます。それが今日の人型ロボットや音声ガイドにも現れています。ですからYMOの音楽は音楽は極めてメロディアスなもので、日本的なものと言えます。そしてYMOの優れていた点は、何よりもこの情感表現に優れていたことにあります。

YMOに関するデータ、情報は下記のサイト参照してください。

イエロー・マジック・オーケストラWikipedia
ymo.org
パブリック・プレッシャーWikipedia
トランス・アトランティック・ツアーWikipedia

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