安藤広重「東海道五十三次」浮世絵の構図

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絵画・アート

安藤広重「東海道五十三次」
安藤(歌川)広重(あんどう ひろしげ)寛政9年~安政5年(1797~1858) 歌川豊広門下の浮世絵師

有名な広重の天保3,4年の作「東海道五十三次」(保永堂)を題材にして浮世絵の構図について少し書いてみます。絵は任意に選んだものです。
それではまず、一番上の「A」図を見てください。岡崎、京都、金谷、小田原、嶋田の絵です。5枚の河の絵を比べれ見ると、一見して構図が似ていることに気が着くと思います。では、その下の「B」図ではどうでしょうか?「B」は箱根、亀山、品川、桑名、神奈川の絵です。山や海を描いた絵で、特に「箱根」はダイナミックな風景画で広重の代表作として、とても有名な作品です。どれも独創的で、1枚づつ見ても、5枚を見比べても余り似ているようには見えないかもしれません。ところが「A]図の5作品・「B」図の5作品は同じ構図を基本として描かれているのです。単純な黒線で描いた図が各構図です。


そんなことはない、どれも違って見える、本当かと疑問に思われる方のために、三番・四番目の「C」図と「D」図で「A」図、「B」図の絵に黒線の構図を重ねてみました。いかがですか?ピタリと黒線に重なり、構図が同じであることが分かると思います。「A」図は安定感と広がりのある遠近法、「B」図は躍動感のある遠近法の構図です。

これには理由があります。それは浮世絵が伝統的な絵画や西洋の銅版画などから構図を学び、また独自の構図を考案しつつ、それを師匠から弟子へと受け継いでいったからです。もちろん北斎のように、精力的に新たな構図を考案していった先駆者たちもおりますが、多くはその流派の構図を絵手本と活用していました。毎日多くの絵を描かなければならなかった、職業画家である浮世絵師たちにとって、絵手本は無くてはならないマニュアルだったのです。
広重もそうした歌川派の浮世絵師の一人だったのです。その才能は天才的な画家ということとは、少し違っています。現在に当てはめれば、アート・ディレクター、デザイナー、イラストレーターとしての才能であると思います。だからといって、広重の評価が変わる訳ではありません。マニュアル化された構図を使うなかで、独創的な浮世絵を生み出すことは大変難しいことです。そこには優れた画家としての描写力、デザイン的才能や優れた色彩感覚が発揮されています。また特に、単純化した事物を的確に構図の中に配置する構成力は、西洋近代絵画の模範となるほど洗練されています。
広重が本当に東海道や木曽路などの街道を旅したかは定かではありませんが、江戸時代に隆盛を極めたお伊勢参りなどの民間の旅ブームに乗って、人々の旅への憧れをかき立てる豊かな日本の風景を浮世絵に描き出しました。それまで描いていた役者絵で発揮できなかった豊かな才能を広重はそこで開花させたのです。その美しい世界は今も私たちを魅了しています。

東海道五十三次Wikipedia
歌川広重Wikipedia

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