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センチメンタルジャーニー[歌詞和訳]ドリス・デイ:Doris Day A Sentimental Journey

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Doris Day A Sentimental Journey

「センチメンタルジャーニー」ドリス・デイ:Doris Day A Sentimental Journey

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「センチメンタルジャーニー」(A Sentimental Journey)歌詞

Gonna take a Sentimental Journey,
Gonna set my heart at ease.
Gonna make a Sentimental Journey,
to renew old memories.

Got my bags, got my reservations,
Spent each dime I could afford.
Like a child in wild anticipation,
I Long to hear that, “All aboard!”

Seven…that’s the time we leave at seven.
I’ll be waitin’ up at heaven,
Countin’ every mile of railroad
track, that takes me back.

Never thought my heart could be so yearny.
Why did I decide to roam?
Gotta take that Sentimental Journey,
Sentimental Journey home.
Sentimental Journey.

(Copyright 1944 by Morley Music Co., Inc. 31 West 34th Street, N.y., N.Y. 10019 Copyright renewed 1971. All Rights Reserved.)

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「センチメンタルジャーニー」(A Sentimental Journey)歌詞和訳

感傷的な旅に出よう
心の安らぎを求めて
感傷的な旅に出よう
古い記憶を思い出すために

カバンも持ったし、予約もしている
出来る限りの小銭を注ぎ込んだ
わくわくしている子供みたいな気持ちで
「出発進行」の声が聞こえるのを待ち望んで

7時。発車時間は7時
天にも上る気持ちになるんだ
線路を1マイルづつ数えていると
それは私を連れ戻してくれる

こんなに恋しいなんて思ってもみなかった
なんで彷徨っていたんだろう
感傷的な旅に出よう
感傷的なわが家への旅
感傷的な旅

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ドリス・デイ(Doris Day、1922年4月3日 – )について

ドリス・デイ(Doris Day、1922年4月3日 – )は、彼女が1944年に18歳から専属歌手であったレス・ブラウン楽団の「センチメンタルジャーニー」を歌って大ヒットさせました。
バンドのリーダーのレス・ブラウン(Les Brown)が作曲したこの歌は、ニューヨークのホテル・ペンシルバニア(Hotel Pennsylvania)のカフェルージュで演奏され、当時の子供たちの熱狂的な人気から火がついて(この豪華なホテルで子供たちが熱狂?調べたわけではないので、真偽はわかりません。都市伝説?)、全米ヒット1位となりました。
昔の写真を見てみると、ホテル・ペンシルバニアのカフェルージュは、広いフロアと高い天井、多様な彫刻が施された室内装飾、大きなアーチ型のウィンドウ、シャンデリアや室内噴水などを施した豪華なダイニングで、ここのステージで多くの有名なビッグバンドや歌手が活躍しました。 アンドリュースシスターズ、ドーシーブラザーズ、 カウントベイシー、 デュークエリントン、グレンミラーオーケストラなどが出演したことで有名です。
ドリス・デイは、「センチメンタルジャーニー」のヒットにより有名になり、1948年にワーナー・ブラザースと契約し、歌手スターとして映画に出演しました。この頃の映画には、二人でお茶を Tea for Two (1950年)、カラミティ・ジェーン Calamity Jane (1953年)などがあります。アメリカでは映画と歌も当たったのですが、その時代の映画は殆ど日本へは来ませんでした。1955年にMGMで主演した、歌手ルース・エティングを題材にした「情欲の悪魔」(原題『Love Me or Leave Me』が、まるでポルノ映画のような邦題になるナンセンスは今でも不思議!)も、映画の出来も凡庸で当たりませんでした。

しかし、1955年のアルフレッド・ヒッチコックの「知りすぎた男」(The Man Who Knew Too Much)でジェームズ・スチュアートと共演して、ドリス・デイのコメディエンヌの才能が開花しました。その後の「先生のお気に入り」(Teacher’s Pet)のクラーク・ゲーブルとの共演やロック・ハドソン、ケイリー・グラント、ボブ・ホープ、ジェームズ・キャグニー、そして俳優時代のロナルド・レーガンと当時の大スターとの息の合った喜劇作品はどれも秀作で、アメリカでは大当りして、トップスターとなりました。(日本でヒットしなかったのは、アメリカのコメディが分らなかったからか、配給会社の宣伝がまずかったから)どんな男優と共演しても、違和感がなく好ましい存在であることは、女優にとって重要な要素ですが、ドリス・デイは特にこの才能に長けていました。ですから有名男優の多くが彼女との共演を望みました。なにしろ彼女と共演すれば、映画は当り、自分の好感度もアップするのですから当然と言えます。とにかくアメリカでは、ドリス・デイの明るく健全なキャラクターは大いにうけ、良き恋人、良き妻、良き母親として、憧れの対象であったことは、50年代のイラストレーションの女性の顔が、どこか彼女に似ていることを見れば分ると思います。1986年には、芸能活動から退きましたが、稀に見る天賦の才能を持ったコメディエンヌでもありました。

「センチメンタルジャーニー」とは?

「センチメンタルジャーニー」は、長い放浪の後で、わが家に帰るという内容で、けして成功して戻るのではないことは、「Spent each dime I could afford. 」の意味で分ります。センチメンタルと言っても、失恋を思わせる歌詞はありません。この歌のセンチメンタルは、人生に関する感傷です。日本ではとかく、センチメンタルを失恋と結びつけがちで、もう少し深いセンチメンタルもあること忘れているような気がします。石川啄木の「汽車の窓 はるかに北にふるさとの山見え来(く)れば 襟(えり)を正(ただ)すも」「ふるさとの土をわが踏めば 何がなしに足軽(かろ)くなり 心重(おも)れり」「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」のような感傷を、今の日本のソングライターは描けなくなったのでしょうか。それとも、そんな感傷は置き去りにされる社会に日本がなったということでしょうか?

Doris Day -- Sentimental Journey #2

Doris Day – Sentimental Journey #2

ドリス・デイWikipadia
Cafe Rouge (Hotel Pennsylvania)Wikipadia

コメントをどうぞ

  1. かんだ みつお より:

    懐かしい 懐かしい いっぱいいろんな
    想い出が 次々と蘇る名曲ですね ありがとうございます