PR

エドガー・アラン・ポー最後の詩「アナベル・リー」を読む

ブックス・読書
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

「アナベル・リー」は、アメリカの作家エドガー・アラン・ポーによる最後の詩。ポーの死後2日目の1849年10月9日に地元新聞「ニューヨーク・トリビューン紙」に掲載されました。

スポンサーリンク

エドガー・アラン・ポー「アナベル・リー」

スポンサーリンク

Annabel Leeby Edgar Allan Poe

It was many and many a year ago,
In a kingdom by the sea,
That a maiden there lived whom you may know
By the name of Annabel Lee;
And this maiden she lived with no other thought
Than to love and be loved by me.

I was a child and she was a child,
In this kingdom by the sea;
But we loved with a love that was more than love-
I and my Annabel Lee;
With a love that the winged seraphs of heaven
Coveted her and me.

And this was the reason that, long ago,
In this kingdom by the sea,
A wind blew out of a cloud, chilling
My beautiful Annabel Lee;
So that her highborn kinsman came
And bore her away from me,
To shut her up in a sepulchre
In this kingdom by the sea.

The angels, not half so happy in heaven,
Went envying her and me-
Yes!- that was the reason (as all men know,
In this kingdom by the sea)
That the wind came out of the cloud by night,
Chilling and killing my Annabel Lee.

But our love it was stronger by far than the love
Of those who were older than we-
Of many far wiser than we-
And neither the angels in heaven above,
Nor the demons down under the sea,
Can ever dissever my soul from the soul
Of the beautiful Annabel Lee.

For the moon never beams without bringing me dreams
Of the beautiful Annabel Lee;
And the stars never rise but I feel the bright eyes
Of the beautiful Annabel Lee;
And so, all the night-tide, I lie down by the side
Of my darling- my darling- my life and my bride,
In the sepulchre there by the sea,
In her tomb by the sounding sea.

スポンサーリンク

「アナベル・リー」和訳(私訳)

たくさんの年を重ねた昔のこと、
海の傍らの王国に、
知っているだろう、
アナベル・リーという名の少女が住んでいたことを。
そして、この少女は愛すること、
私に愛されることだけを想って生きていた。

私は子供で、彼女も子供だった。
海の傍らの王国で。
だけど、お互いに愛という言葉で表せないほど愛し合っていた-
私と私のアナベルリーは。
天国の翼のある天使たちもうらやんだ、
私と彼女の愛を。

だから、これが理由なんだ。遠い昔、
海の傍らの王国で、
雲の間から吹き下ろしてきた風が
私の美しいアナベル・リーを凍りつかせ、
そう、彼女の高貴な生まれの親戚が来て、
私から連れ去ってしまった。
彼女を海の傍らの王国の墓所に閉じ込めるために。

天使たちも天国では、半分ほども幸せでなく、
彼女と私を妬んでいたから-
そうなんだ!-それが理由だった(海の傍らの王国の
誰もが知っているように。)
雲の間から吹き下ろしてきた夜の風が
私のアナベル・リーを凍らせ、そして殺した。
でも、私たちの愛はどんな愛よりもずっと強かった、
私たちよりも年を重ねた人や-
私たちよりも賢い人のものよりも-
そして、天国の天使たちも、海の底の魔物たちも、
決して私の魂を引き離すことは出来ないのだ。
美しいアナベル・リーの魂から。

なぜならば、月は僕に美しいアナベル・リーの夢を
運んでくれるために光を放ち、
そして、星々は僕に美しいアナベル・リーの輝く瞳を
感じさせることの他には登らないのだから。
だからこそ、夜が来るたびに僕はその傍らに横たわる、
私の愛しい-愛しい-私の命、私の花嫁の
海の傍らの墓所に、
轟く海の傍ら、彼女の墓碑に。

スポンサーリンク

解説

「アナベル・リー」はアメリカのサウス・カロライナのチャールストンに残る地方伝説で、船乗りと娘の悲恋の物語です。若い二人が付き合い、墓地で密会することに父親は反対していました。船乗りが遠くの町に離れていたときに娘はなくなりますが、娘の死後も、娘の正確な埋葬場所は知らされなかった船乗りは、二人が会っていた墓地を頻繁に訪れていたという話です。
ポーはこの伝説を元にこの詩を創作したのではないかと言われています。ですから、「昔々…」で始まるような始まりと、古謡の物語の語り口のような形式を使っています。ただ、ポーは単に既存の伝説を詩にしたのではありません。船乗りと娘の恋愛を少年と少女の純粋な愛の物語に変え、親の反対を、天使たちの妬みという、神秘的なテーマに転換し、天国の幸せも及ばない愛の物語にしています。そこには、若くして結婚し、また死んでいった妻ヴァージニアへのポーの純粋な愛が大きく反映されていると思います。悲惨とも言える貧しさの中で死んでいった最愛の妻への追憶があるのかもしれません。あるいは、自らの不吉な死の予感に導きられつつ、死の先にある永遠の愛を信じたかったのかもしれません。ポーは暗黒の淵にあっても、は愛する者を失っても消えぬ愛ががどれほど強いのものであるかを、静かに力強く、自負と尊厳をもって堂々と謳い上げたのでしょう。

この詩は、詩作ではあまり良くないとされる繰り返しを使っていますが、「大鴉」のように熟考された理論をもって緻密な詩の世界を作り上げたポーが、感情に任せて書いたものではありません。たとえば、繰り返される「海の傍らの王国」という語句は、最終行の「海の傍らの墓所」「轟く海の傍ら、彼女の墓碑」へと続き、広い王国からアナベル・リーの墓碑という愛の集約点へと読む者を導く効果をあげるものです。この詩は比較的に簡単な英語で書かれています。中学校で習う英語で内容は分るもので、和訳は蛇足かもしれません。現に、この詩にも多くの和訳がありますが、なぜかピンとこないと思った方も多いのではないでしょうか?その訳のひとつは、「kingdom by the sea」と「the sepulchre there by the sea」「her tomb by the sounding sea」の関連などをうまく表現できていないからだと思います。私約では、「by」を「傍ら」と統一して少しでもイメージが掴めるように試してみましたが、原文のリズムや音調を表現できるものではありませんでした。やはりこの詩は声を出して原文を読んでこそ、その美しさが伝わるものです。読むのが面倒な人は、YoutubeでJoan Baezの歌声で鑑賞してみてください。まるで音楽のように美しい英語の最良の響きが感じられると思います。

Joan Baez Annabelle Lee

Joan Baez Annabelle Lee

ポーはアメリカ文学の幻想怪奇小説、冒険小説、推理探偵小説の原点であり、孤高の存在ですが、詩においてもまた同じことが言えると思います。

蛇足の感想:この詩を読むと万葉集の歌や世界を思い浮かべる人も多いと思います。例えば、柿本人麻呂の「沖つ波来寄る荒巌(アリソ)を しきたへの枕とまきて、寝(ナ)せる君かも」(現代語訳: 沖の方の波が来寄せる所の、岸の荒い岩石を、枕の如く枕して、寝ていらつしやるあなたよ。)です。この歌は、ただ寝ている人のことではありません。亡き人への追慕の歌です。「アナベル・リー」の世界と似ています。洋の東西、海に面する国では、海の傍らで死を迎えることに、何かしらの想いがあるように思えます。民族の血でしょうか?
また、万葉集で繰りかえし歌われた乙女、真間の手児奈 (てこな)の伝説もあります。『万葉集』(巻九の一八○七)には、東の国に、昔から今に至るまで伝えられている真間の手児奈は、麻の服を着て、髪もとかさず、履き物もなく素足で歩いている少女だったが、その美しさは都の娘たちもとうてい及ばないほどだった。多くの男たちが集まって来ましたが”、人のいふ時 いくばくも 生けらじものを”(人はいつまでも生きてはいられないものなのに・・・)とはかなみ、海に身を投じたそうです。これも「アナベル・リー」を連想させます。美しい少女の儚い物語も東西共通のようです。こうした物語に親しんだ人達には、「アナベル・リー」の詩はとても感情移入しやすいものだと思います。

コメントをどうぞ