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「涙のバースディ・パーティ」レスリー・ゴーア:Lesley Gore – It’s my party

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Lesley Gore - It's My Party 1964

Lesley Gore – “It’s My Party” and “She’s a Fool”(Live, 1963)

Lesley Gore - It's my party

Lesley Gore – It’s my party

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「涙のバースディ・パーティ」(IT’S MY PARTY)
(Walter Gold, John Gluck Jr., Herb Weiner)

Nobody knows where my Johnny has gone
Judy left the same time
Why was he holding her hand
When he’s supposed to be mine

It’s my party, and I’ll cry if I want to
Cry if I want to, cry if I want to
You would cry too if it happened to you

Playin’ my records, keep dancin’ all night
Leave me alone for a while
‘Till Johnny’s dancin’ with me
I’ve got no reason to smile

It’s my party, and I’ll cry if I want to
Cry if I want to, cry if I want to
You would cry too if it happened to you

—— LEAD BREAK ——

Judy and Johnny just walked through the door
Like a queen with her king
Oh what a birthday surprise
Judy’s wearin’ his ring

It’s my party, and I’ll cry if I want to
Cry if I want to, cry if I want to
You would cry too if it happened to you

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レスリー・ゴーア「涙のバースディ・パーティ」(It’s my party)

1963年の懐メロ、レスリー・ゴーア(Lesley Gore:1946-)の「涙のバースディ・パーティ」(It’s my party)です。
60年代ポップスのアメリカのロリ・ポップ黄金期、良質な曲とともにに若手実力歌手が次々と現れました。気分が盛り上がらないときは温故知新、一度昔の歌を聴いてみることをお薦めします。

当時16歳の新人歌手であったレスリー・ゴーアがカバーして、シングル全米1位、この歌を収録したデビュー・アルバム「I’ll Cry If I Want To」も全米チャート24位の大ヒットとなりました。ちょうどこの頃からティーン・エイジャーのアイドル歌手が活躍する時代となりました。それは戦後第一世代(日本では団塊の世代)がポップスの市場に大きな影響をもたらすようになったことにも因ります。ロリ・ポップ世代、レスリー・ゴーアはその中でも人気を博した歌手のひとりです。

歌詞は簡単な英語なので訳しませんでしたが、内容としては「テネシー・ワルツ」を思い起こさせます。誕生日パーティで恋人のジョニーが友達のジュディと消えてしまった。シチュエーションはそっくりです。
パーティは楽しい出会いの場であり、こんな失恋もある場でもあるので、ティーン・エイジャーにとっては、身近で感情移入しやすい歌詞だと言えます。

このレスリー・ゴーアのファースト・シングルのプロデュースを担当したのは、クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)です。これはクインシー・ジョーンズにとっても初の全米1位となったプロデュース作品で、この後の彼の活躍の基礎となりました。出だしのインパクト、バック・コーラスでの手拍子、間奏のノリのよさなど、歌のメロディの良さとレスリー・ゴーアの若さを生かしたもので、ヒット・メーカーとしての才能あるアイデアが発揮されています。


Bryan Ferry It’s My Party

こんな人もカバーしていました。

Lesley Gore:Wikipedia

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