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「ざくろの色」セルゲイ・パラジャーノフ:Sergei Parajanov – Sayat Nova/The Colour of Pomegranates

映画関連
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The Colour Of Pomegranates (1969) TRAILER [HD 1080p]

「ざくろの色」(予告編)The Colour of Pomegranates (Trailer)

The Color of Pomegranates FULL MOVIE Parajanov/ Նռան գույնը / Цвет Граната

「ざくろの色」(本編)Sayat Nova – la couleur de la grenade


「スラム砦の伝説」(本編)The Legend of the Surami Fortress (1984)
Director: Paradzhanov Sergei, Abashidze David

今日はチョット変わった映画の紹介。

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セルゲイ・パラジャーノフ:民族の「血」に流れる美学

セルゲイ・パラジャーノフは、黒海の東南の国、旧ソビエト連邦のグルジアの首都トビリシに生まれました。
グルジアは古くはキリスト教国からサーサーン朝ペルシア帝国、東ローマ帝国、イスラム帝国の支配、オスマン帝国とサファヴィー朝ペルシアに国による分割支配、ロシア帝国への併合を経て独立し、ソビエト連邦の連邦構成共和国となりました。ソビエト連邦の崩壊後はロシア時代からの圧制と抑圧に抵抗する「抗露運動」や民族主義路線の姿勢を続けています。また多民族国家で、83.8%の正教徒のグルジア人の他に、宗教や習慣が違う多数の少数民族が住み、人種間の民族問題も根強くあり、世情はやや不安定です。
セルゲイ・パラジャーノフはモスクワの全ロシア映画大学監督科で学んだ後、1964年に「火の馬」で長編映画デビューし、その後、1968年に「ざくろの色」を監督しました。この映画は従来の映画手法から大きく逸脱し、その内容も民族主義的であるということから、ソビエトの映画界からは無視され、当時の政府からセルゲイ・パラジャーノフは危険思想を持った人物と見做され、生涯に三度投獄されることになりました。

アルメニア人の映画監督、セルゲイ・パラジャーノフ(Սարգիս Հովսեպի Պարաջանյան;Sargis Hovsepi Parajanyan:1924-1990)の作品「ざくろの色」(Sayat Nova/サヤト・ノヴァ/The Colour of Pomegranates:1968 )と「スラム砦の伝説」(The Legend of the Surami Fortress:1984) です。ハリウッド映画などの商業作品を見慣れた人は、大きな違和感を覚える映画だと思います。この映画のひとつひとつのシーンには、拘りぬいた「美」への追求があります。そういった意味では、谷崎潤一郎などに代表される、日本人にも流れる耽美的な、民族の血に流れる嗜好が感じ取れます。そしてそれこそが、この作品最大の魅力です。
しかし、共通理念に基づく多民族国家の共同体を標榜するロシアが否定し、恐れたのも、こうした民族の血だと思います。

ここからは個人的な感想ですが、「ざくろの色」は確かにグルジア人の風俗や宗教観が色濃く出ている映画で、シンメトリーの絵画的なイメージのコラージュ手法が連続するシーンは、映画文法を無視しているのみならず、共産主義体制化では民族主義否定の考えから逸脱しているように思えます。しかし今観れば映画自体には反体制的なメッセージは感じられません。
セルゲイ・パラジャーノフが「ざくろの色」と「スラム砦の伝説」で描いたものは、幾多の歴史の変遷と、それに続くソビエト共産主義の中で失われてゆく民族の「血」の象徴を、自らの感性を以って映画として定着することにあったのではないでしょうか。そう考えるとセルゲイ・パラジャーノフの映画が難解であるのは当然のことと思えます。何故なら私たちには彼と同じ民族の「血」が流れていないためです。しかし彼のこれらの極めて私的な映画からは、観る者の体にも共通して流れている、遠い民族の「血」への郷愁を掻き立てる力があります。それが他に類を見ないセルゲイ・パラジャーノフの作品の不思議な魅力となっていると思います。

【注:1968年の「サヤト・ノヴァ」のオリジナルのフィルムは散逸したと伝えられおり、現在、私たちが見られる「ざくろの色」(1969年)は散逸したオリジナル・フィルムから、ロシアの無声映画時代からの監督セルゲイ・ユトケーヴィチ(Sergei Yutkevich:1904-1985)が再編集したものです。失われた部分は当局の検閲によって破棄された可能性もあります。とすれば、そこにこそセルゲイ・パラジャーノフの主張やソビエト政府が危険と見做した思想があったのかもしれません。】

セルゲイ・パラジャーノフ:Wikipedia

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