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「ペール・ギュント」エドヴァルド・グリーグ:Edvard Grieg -Peer Gynt

クラシック音楽
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Sissel Kyrkjebø - Solveigs Song

「ソルヴェイグの歌」  シセル・シルシェブー Sissel Kyrkjebø – Solveigs Song – 1991

Edvard Grieg: Peer Gynt Suite No.1 & No.2 ​- Bjarte Engeset (op. 46, op. 55, op. 23)

ペール・ギュント管弦組曲 作品46、作品55
Edvard Grieg: Peer Gynt Suite No.1 & No.2 ​- Bjarte Engeset (op. 46, op. 55, op. 23)

第1組曲 作品46
第1曲「朝」 (Morgenstimmung)
第2曲「オーセの死」 (Ases Tod)
第3曲「アニトラの踊り」 (Anitras Tanz)
第4曲「山の魔王の宮殿にて」(In der Halle des Bergkönigs)

第2組曲 作品55
第1曲「イングリッドの嘆き」 (Ingrids Klage)
第2曲「アラビアの踊り」 (Arabischer Tanz)
第3曲「ペール・ギュントの帰郷」 (Peer Gynts Heimkehr)
第4曲「ソルヴェイグの歌」 (Solveigs Lied)

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「ペール・ギュント」は、ノルウェーのヘンリック・イプセン(Henrik Ibsen, 1828-1906)が1867年に書いた5幕の戯曲。

十九世紀の初めにはじまり、その六十年代に至つて終わる波乱万丈のペール・ギュントの生涯の物語です。イプセンは1874年にこの戯曲の音楽家を同国人のエドヴァルド・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg:1843-1907)に依頼、1875年に完成し、上演されました。そして演劇を離れて管弦楽として編成されたのが作品46と作品55の二つの組曲です。

グリーグはノルウェーを代表する国民楽派の作曲家で、祖国ノルウェーと妻を愛した人として知られています。得意としたのは繊細なピアノ曲や歌曲などで、劇音楽には不向きと思われていました。ところが自由奔放なイプセンの発想と、どちらかと言えば生真面目なグリークの取り合わせは、グリーグに幸いしました。そしてイプセンの豊かな発想の物語に刺激されて作られたのが「ペール・ギュント」の音楽です。グリーグの民族音楽から得た影響は、作品に重厚な北欧的なロマンと叙情性を与え、イプセンの演劇の枠すら超えた美しい楽曲を作り上げました。

シセル(シセル・シルシェブー)は、ノルウェー出身の女性歌手。もう世界的に高い評価を受けている実力派歌手。「ソルヴェイグの歌」は行方知れずの恋人を想う歌でシセルの透明感ある歌声にとても合っています。

ペール・ギュント (グリーグ):Wikipedia
エドヴァルド・グリーグWikipedia
「ペール・ギュント」(Peer Gynt, 1867)楠山正雄:訳

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