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「絵金」 平面絵画への革新的試み

絵画・アート
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絵金(弘瀬洞意・金蔵)は、幕末から明治にかけての絵師。絵師金蔵を略して「絵金」と通称されます。

絵金は、文化9年(1812年)10月11日に高知市城下新市町の髪結いの子として生まれ、狩野派を学び、家老のお抱え絵師となるが、偽絵事件で高知城下追放となった後、市井で創作しました。絵金を有名にしているのは、狩野派風の絵ではなく、芝居絵屏風、襖絵、絵馬提灯などの、浮世絵・錦絵の画風によろ大衆向けのものです。裏切り、欲、血しぶきが飛び散る殺人、放火、誘拐と…人間の悪業を描いて「血みどろ絵」とも称され、異端の画家と言われています。「異端」と呼称するのは、一種の蔑みを含んだ差別的な意図を感じます。しかし、絵画の世界に正当も異端もありません。こうした呼称は、狩野派を日本絵画野の本流ととらえた、近代の美術史家による権威主義的な分類によるもので、画家の正当な評価をさまたげているように思います。絵画で評価すべきは、画家の独創性や技量、個性だと思います。

そこで、あらためて絵金の絵を鑑賞します。絵金の絵は、主題が歌舞伎、芝居、伝説などを題材を採り、それぞれに毒々しく人間の業を描いて興味深いのですが、これは、幕末から明治初期の庶民の怖いもの見たさのエンターテイメント感覚(スプラッタホラーと同じ?)や宗教観で、特に異常なものとは思いません。(この大衆性も絵金の評価を低くしている要因かもしれませんが)絵金の絵をひとつひとつ解説するのも面白いのですが、テーマはアートなので、今回は絵画鑑賞の観点に絞ります。

上の絵は、一辺約2メートル弱の正方形の二曲一隻の「二月堂良弁杉の由来」の芝居絵屏風です。人形浄瑠璃・歌舞伎の「良弁杉由来」(通称「二月堂」)の初演は明治20年で、絵金の死んだ8年後で、伝説とはストーリーが少し異なるので、この芝居との関係はありません。ただ、この話は民間では有名なお話だったので、幕末の土佐でも、伝承され、あるいは芝居があったのかもしれません。



二月堂良弁杉の由来(にがつどうろうべんすぎのゆらい)

絵金は、この伝説の発端で」となる大鷲が赤ん坊(後の東大寺の良弁大僧正)をさらう場面を描いています。構図は逆三角形・左右対称を基本として、その中に躍動感と赤ん坊をさらわれる母親の悲壮感と父親の怒りが見事に描写されています。ただ、よく見れば、母親の姿勢や、父親と子供の顔の向き、大鷲の首の向きなどが、不自然なことに気が付くと思います。絵金の芝居絵屏風には、こうした不自然な姿勢や遠近法の歪みがあり、一見すると洗練さを欠いたもののように感じるかもしれません。しかし、これが絵金の優れた技量による独創性です。それが、2枚目の絵です。完璧な構図です。屏風絵は本来、平面的に見るものではなく、折れた状態で見るものです。

平面的に正しくても、折ることで絵に歪みが生じます。絵金の絵は、この角度の歪みを利用し、平面に描いた対象を立体的に見せています。それだけでなく、対象を異なる視線で描くことにより、一枚の絵の中で、瞬間的な時間差を描写しています。それが、人物の姿勢や顔の向きによって描かれています。2枚目の絵を下から上に見てゆくと、子供をさらう大鷲を遠方に追う場面から、上方の手前上空に飛んでくる場面へと変化しています。今風に言えば、バーチャル・リアリティー。鑑賞する者を絵画の世界に引きずり込みます。絵金以外の画家でこれほど、立体感を巧みな効果で描いた画家はいません。赤岡町須留田八幡宮の宵宮と絵金祭りの宵の展示は正しい絵金の鑑賞法です。薄灯りに浮かび上がる立体感こそ、絵金が意図したものと思えるからです。

キュビズムは立体を違う角度で見て、同一の画面に定着することを試みましたが、絵金はこれを、それよりもずっと前に実践していたと言えます。絵金は下絵なしに絵を描いたといわれますが、これはちょっと信じられません。この完璧な構図と効果が即興で描けるとは思えないからです。
絵金はもっと評価されていい画家です。この先進性が日本に限らず、世界的に認識されるのは、もう少し先のことでしょうか。

絵金に関するサイト(新しいウィンドウが開きます。)

絵金蔵公式サイト
絵金Wikipedia
高知県立美術館ミュージアム絵金のページ
無為庵乃書窓:絵金のページ(絵金の絵が163点見れます。)

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