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クラムスコイ「忘れえぬ人」

絵画・アート
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イワン・ニコラビッチ・クラムスコイ( 1837~1887)、(ロシア).неизвестную1883年 75.5x99cm モスクワ の国立トレチャコフ美術館蔵

「忘れえぬ人」「見知らぬ人(女)」は1613年から1917年まで続いたロマノフ朝・帝政ロシアの末期に描かれた絵画で、ロシアのモナリザとも言われてる肖像画の傑作です。
画題は英語の「Unknown」と同じ意味ですから、直訳すれば「見知らぬ人(女)」や「無題」が正しいのかもしれません。
誰が「忘れえぬ人」という日本語の銘を付けたかは知りませんが、クラムスコイが描かれたモデルに関する記録を残さなかったこともあり、「見知らぬ人(女)」とありきたりな画題がこの絵の完成度にそぐわないと感じたのかもしれません。記録が無いことは、それだけに想像力を掻き立てるものです。
古典的な具象絵画の楽しみのひとつは、平面に定着した時間から、情報を読み取り、想像する楽しみです。

この絵では、街角で一人で馬車に乗っている上流階級(貴族?)の若く美しい女性は、静かに画家を見下ろしています。虚ろな眼差しはこちらに向いていますが、感情を表してはいません。内なる憂いを秘めた感情を抑えているようにも見えます。ただその眼には少し涙が滲み、少し眉間に曇りがあります。この目の前にある対象には無関心な眼差しと、表情を曇らせている潤んだ眼と眉間の生み出すアンバランスが見る者の心に不安と疑問を抱かせます。それを全体の静謐な冬の光景が引き立てています。この絵を見て、高慢な上流階級の女性の肖像画だと思う方の絵の見方は90%合っています。何故ならこの表情を読み取っているからです。ただ、残り10%のもう少し深い感情表現が分かると、もっと絵画を見る楽しみが増すと思います。この絵は高級娼婦の肖像だという説もあります。(明確な根拠はないようですが。)ただそれがこの絵を鑑賞するうえで何の役にたつでしょうか?キリストを大工、マグダラのマリアが元は娼婦だからと、人間を表面的にしか判断できないことと似ています。

モナリザの口元が見る者に物語性と神秘性を感じさせるのと同様に、この絵は眼と眉間でそれを表現しています。一瞬の光景や人の表情にドラマや美を感じるのは、写真術が発達した近代的な美の感覚で、「決定的瞬間」という言葉がこれをよく表現しています。また、現代はそうした作風の古典絵画が好まれ、高い評価を得ていると思いますが、私たちはこの絵からも過ぎ去る時間のなかのドラマ性を感じることで、心を揺り動かされるのだと思います。
長い人生では、ときに自分のとは関わりがない人の一瞬の表情が忘れられないことがありますが、そんな経験のある人が、この絵を見た印象から、「忘れえぬ人」と名付けたのだと思います。絵の本質をついた、とてもロマンチックな名訳だと思います。(そういえば、ダ・ヴィンチのモナリザも同様にモデル、画題が不明でした。)
過去に日本で開催された展覧会では「忘れえぬ人」の画題でポスターや鉄道の車内広告にもなりました。このときにこの絵を目にして、「忘れえぬ人」になった方も多いと思います。

この絵の構図は遠景を背景に配して、頭部を頂点にしてピラミッド状に人物を置いた、安定した古典的なものですが、胸像のアングルよりも視野が広く、見る者との間に適度な距離感があります。この距離感が見る者とモデルとの心理的な距離感でもあります。憂いを含んだ視線との間の適度な緊張感が絵にドラマ性を与えています。

参考:トレチャコフ美術館のホームページはこちら(ロシア語)です。Wikipedia

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