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松尾芭蕉
源氏物語絵巻
琳派・尾形光琳
茶の湯
阿修羅像
歌舞伎
能面

如庵 俵屋宗達 信貴山縁起

写真と文章はこんな感じになります。

以下は参考の文章です。
私たちが、毎日、目にしている物(漢字やひらがな、障子やふすま、畳、器や箸、扇子、その他諸々の生活用品)や、文化(祭礼、年中行事、芸能、書画、建築物など)の多くには日本独特の美意識があります。
合理的で実用的な西洋化した生活を「文化的な生活」と言った人がいましたが、本当にそうでしょうか?
ただ生きるためならば、料理に味付けはいりませんし、それを盛る器に模様もいりません。服は動きやすくて、暑さ寒さを防げれば充分です。宝飾品も必要ありません。しかし人間はお洒落をし、同じ性能の商品はデザインで選びます。これは人間が他の動物と違って「意味のないものに意味を感じる」動物だからです。自分に関係ないからと「意味ないじゃん!」と否定してしまっては、何の「意味」も見つかりません。無駄なことをすることこそが人間固有の活動だからです。この無駄な活動から人間の文化の歴史が始まりました。生きること以外の活動をするためには「時間的な余裕」が必要です。時間的な余裕があれば「ゆとり」ができ、自分の感性にあったものが欲しくなります。また、創造することができます。あなたがもし、「合理的で実用的な文化的な生活」だけでは満たされないとすれば、それはあなたに「ゆとり」があり、より創造的な感性の持ち主だからかもしれません。
物が豊かな現代は新しい文化もたくさん生まれています。次々と移り変わる流行のなかからスタンダードになるものがあります。サブカルチャーであっても、その積み重ねが文化の深さになり、カルチャーになることがあります。歌舞伎の衣装や髪型もはじめは「パンク」や「コスプレ」と同じ発想から生まれたのではないでしょうか。日本の伝統的な文化もそうしたなかから生まれ、今の私たちの生活に息づいています。そのなかには素晴らしいデザインやアイデアが溢れています。欧米の人たちは客観的にその素晴らしさを認識しますが、当の私たちがそれに気付かないで見過ごしてしまってはちょっともったいない気がします。
先人たちが感性を注いだ本当の「文化的な生活」のヒントは身近なところにあるのではないでしょうか。

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